答えがわからない話ですよ

昨日、CGを駆使したヒロシマの特集番組のようなものを見た。
その番組の中で、原爆開発関係者の一人と被曝者を対談させるコーナーがあった。


原爆開発関係者の米国人は、先ず広島の原爆記念館を訪れたが、
自分の開発したものや成果が立派に展示されているのを見て、何となく満足そうであった。
これが科学者としての率直な感想なのかもしれないが。


で、メインの対談コーナーなんだが、やっぱりと言うか、水掛け論で平行線。
被曝者は、とうとうと辛さや苦しみを語るが、米国人は「戦争だから。」
「一般人を巻き添えにして…」と言えば、「戦時中なら、国民総軍人だ。」
「恐ろしい核兵器は廃絶すべき。」。米国人「恐怖を生むから核兵器は作られる。」
挙句の果てには、「謝罪しろ!」。米国人「謝罪はせん。お前が謝れ!」。
最後は、被曝者あきらめムード、米国人ブッシュ批判をして握手して終わり。
結果、米国人に憎しみをもたせて、TBSとしては万々歳か?



戦争は、政治的・経済的なものや、イデオロギーの違いで怒ると思われがちだが、
根本は喧嘩。
人間が負の感情を持つかぎり無くならんだろう。全人類が悟りを開くかロボットにならん限り。
戦略家のリデル・ハートはこう言っている。

「戦争を研究すればするほど、戦争の原因は政治的や経済的よりも根本的に
心理的な理由にあることに気づくだろう。戦争屋と話をすれば、平和を目指す
努力以前に彼らの人間性の鈍感さにガッカリするが、それ以上に反戦主義者の
好戦性によって戦争を排除することに絶望を感ずる。」

なぜか反戦をかがげている人間ほど、恐ろしかったりする。
扶桑社の教科書を採択した自治体に、「子供を殺す」とか脅しをかけてみたり。


戦争を無くす。と言って、妄想の世界に入り込み、現実から逃避するよりも、
「いかにして被害を最小に抑えるか。」「いかにして身を守るか。」に、
重きを置いたほうが、よっぽど利になる。
人間の歴史は戦争の歴史と言っても、過言ではないのだから。